イラスト図解【南総里見八犬伝】第一回 季基訓を遺して節に死す 白竜雲を挟みて南に帰く(※続かない)
<時は永享10年(1438年 室町)、後花園天皇の御代 >
【永享の乱】持氏自刃、二人の子は下総へ落ち延びる
6代将軍・足利義教(in京都)と、関東管領・足利持氏(in鎌倉)が不和のいがみ合いの末、合戦を起こした。永享の乱である。
上杉憲実は持氏の家臣であったが、将軍の義教に寝返っていた。
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合戦開始の翌年、3月10日。
憲実に攻め立てられ、持氏とその長男(義成)は鎌倉の報国寺にて自刃。
二男(春王)と三男(安王)の二人は、下総の国に落ち延びた。
【結城の合戦】
そしてその下総の国には、持氏の家来・結城氏朝の城、結城城があった。彼は義を知る武士で、彼の元に、里見季基を始め、持氏にかねて恩義のあった武士たちが集まり、戦っていた。
結城の城はなかなか落ちる気配がなかった。しかし、孤立無援で3年の籠城の末、落城してしまう。
(春王・安王は捕らえられ、京へ護送中に斬首。享年13歳、11歳)
【季基、訓を遺して節に死す】
この時、季基の長男・義実(治部大夫義実、又太郎御曹司、19歳)も共に武士として戦っていた。
城が落ちるとき、季基は義実に、生き延びてお家再興することを命じ、義に殉じて死んでいった。
-セリフ引用
(※意訳)
【義実、西へ】
(※譜代/ふだい…代々その主家に仕えること)
叢雲立つ中に、白竜が南へ指して飛び立つのを見た。
吉祥のしるしである。
いつの間にか天候も良くなり、船は滑らかに走り、一行はつつがなく安房へ着いた。
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〜あとがき〜
以前から考えていた南総里見八犬伝のイラスト図解。やってみたら思いの外エネルギーが要って、力尽きてしまいました!笑 少しだけ作業を残して、公開まで一年以上経ってしまいました。ダイジェストででも、今後出来るといいな〜とは思ってるのですが〜、、笑